<2025.4.15記>
学生時代、専攻していた刑法ゼミで所属する学生が検察側と弁護士側に分かれて「未必の故意」について討論(ディベート)する機会があった。争点は「極寒の深夜に凍死することを予見しておきながら泥酔して眠り込んだ知人を路上に置き去りにした(救護をしなかった)人は殺人罪に問われるか?」だったかと思う。「未必の故意」は立証できれば過失を装う悪人を追い詰めることができる法解釈であることは認めるが、強引な決めつけは予見能力不足の人を冤罪に貶めかねない諸刃の剣とも考えられる。加害者に積極的な殺意が無かったとしても、「救護をしなかったら死ぬ」と予見できたかどうか、何らかの動機があって「死んでも構わない」とまで考えたかどうか、人が人の「未必の故意」を見極めるのはとても難しい。
<2025.4.1記>
本日は4月1日でエイプリルフール、直訳すると「四月馬鹿」、日本でも他国同様に「嘘をついても良い日」という仕掛人のセンス次第で騙された方も笑えるユニークな風習として根付いている。だが、ちょっとした悪ふざけがSNSで拡散されてその情報があたかも事実であるかのように一人歩き、時として誰も笑えぬ大事になりかねないご時世である。いっそのこと、「4(ヨ)・1(イ)」の語呂合わせで単に「良い日」、又は少し洒落て「良い旅立ちの日」に改め、入学や入社、新年度入りを祝う記念日とする方が4月1日を何かと節目や起算日とする日本の文化には馴染むのではないだろうか。
<2025.3.15記>
誤解を恐れずに申し上げると、私はお客様を「神様」だとは思っていない。お客様は大切な、とても大切な「カウンターパート」なのである。何かと不動産会社に絶対服従を求め、「右を向けと言ったら右だけを向いていろ!」といった高圧的な態度を取るお客様がいることは否定できない。また、その理不尽さに何ら抗うこと無く、右の頬を打たれたら揉み手しながら左の頬を差し出せば良しとする卑屈な忍耐を美徳と勘違いしている経営者や営業マンも確かにいる。