【寄稿№13】未亡人には、1セントもやらない」フランス文学騒動  | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№13】未亡人には、1セントもやらない」フランス文学騒動 




    <2022.8.1寄稿>                            寄稿者 たぬきち
    2021年8月6日、ルモンド紙は「セリーヌの発見された宝物」という記事を発表。「何千枚もの未発表原稿が、驚くべき状況で再浮上しました」。
    いまや仏文学上マルセル・プルースト(「失われた時を求めて」の作者)に並ぶルイ=フェルディナン・セリーヌ(ファッション・ブランドとは無関係)の未発表原稿の1つ「戦争」(これは第一次大戦)が、2022年5月、ガリマール社から発売された。秋には他に2冊、さらに続く。

    第二次大戦下の1944年6月、連合軍はノルマンディー上陸、パリ解放が迫る。モンマルトルに住み、反ユダヤの有名作家で医師のセリーヌに、レジスタンスの殺害予告。夫婦は猫のベベールと、ドイツに向けパリ東駅へ。秘書にいくつか原稿を預けたが、残りや家財は放置、その後略奪にあう。ドナウ川沿いジグマリンゲンの城で、ヴィシー政権のペタン元帥や閣僚と合流。
    連合軍の「ラジオ・パリ」によると、同年11月、ジョルジュ・スアレスが銃殺された。ドイツ管理の新聞「オジュルディ(今日)」編集長で、ペタン元帥の伝記作家。「粛清(エピュラシオン)」で死刑のジャーナリスト第1号。1928年、ジョセフ・ケッセルと週刊誌「グリンゴワール(16世紀の劇作家)」創刊。1934年にはスタヴィスキー事件と暴動を密着取材。ジャック・ドリオの極右フランス人民党に近づき、対独協力。
    ロベール・ブラジラックも、反ユダヤで対独協力の新聞編集長だった。1935年の共著「映画の歴史」では、日本映画も紹介。1943年、ジャック・ドリオ率いる東部戦線の反共フランス義勇軍を慰問。1945年1月、反逆罪で死刑判決。検察官は法廷でブラジラックの同性愛を示唆。臨時政府の長ド・ゴール将軍は恩赦せず、2月に銃殺(享年35)。前年8月、トゥールノン通りのアパートを去ったが、母の再婚後の義理の兄弟、義父、そして母親が代わりに逮捕されたと知って自首。
    1945年3月、セリーヌらはデンマークに向けジグマリンゲンを出発。コペンハーゲンに着き、電報で母の安否を照会したが、折返し訃報が届く。「ジュノー通りの角で哀れな捨犬を追うみたいに別れた時の母の姿が目に浮かびます」(高坂和彦 訳「城から城」訳者解説)。デンマーク政府は、フランスの引き渡し要請を検討する間、彼を2年間刑務所にとどめた。
    ヴィシー政権の元首相ピエール・ラヴァルは、ドイツ空軍機でバルセロナに。だがスペインのフランコ総統は、ラヴァルを戻した。1945年10月、ジャケット裏地に隠した青酸カリ(ジグマリンゲンで医師セリーヌが与えたというが)による自殺未遂後、銃殺。ペタン元帥の死刑宣告後、ド・ゴールはすぐ恩赦。高齢と第一次大戦の英雄的貢献による。「フランス元帥」称号以外すべての名誉を剥奪され、大西洋の島の刑務所で死去。
    セリーヌの著作出版人ロベール・ドノエルは、解放後の1945年12月、パリの街角で車から降りたとき、射殺された。彼の弁護のため作成された、戦争中すべてのパリの出版社の対独協力を記すファイルと、コインと金の棒を入れたスーツケースは、車から消えた。
    フランスは1951年、第一次大戦の傷痍軍人であるセリーヌに恩赦を与えた。彼と妻ルセットは帰国して、パリ南西のムードンに定住。彼は出版社ガリマールと契約、医療再開。ルセットはダンス教室を開いた。セリーヌは1961年に亡くなるが、会計士として雇っていたユダヤ人オスカル・ローゼンブリーが犯人と指摘(晩年、出身地コルシカ島に引退し、1990年死去)。
    2005年、誰かがセリーヌの原稿を、元モスクワ特派員で「解放」新聞の演劇評論家ジャン=ピエール・ティボーダに渡した。「左翼新聞の左翼知識人として、かつレジスタンスのメンバーの息子として、極右と無縁のため」選ばれたという。その際、「ルセットが出版物から1セントでも稼ぐことを望まないため、彼女が亡くなるまで原稿を公開しない」と約束させた。彼女は2019年11月107歳で死去。
    ルセットの訃報を受けティボーダは、著作権法専門弁護士エマヌエル・ピエラに連絡。二人は、ルセットの相続人元ダンス学生ヴェロニク・ショバンに会うが、原稿を渡さないため、2020年9月、相続人は盗品返還を求め訴訟提起。二人は、「文化財の違法取引取締中央局(OCBC)」に原稿提出。OCBCが、それをヴェロニクに交付した。
    原告は、ティボーダが15年以上にわたって原稿を「世界から」奪い、泥棒の身元を隠蔽と主張。「ジャーナリストの情報源保護というが、窃盗にすぎない」と相続人の弁護士。「プレスカードを持っていれば、盗品を免責で保管できるのか?」
    エマニュエル・マクロン大統領が、2018年11月、第一次大戦終戦100年記念式典で、ペタン元帥について、「第二次大戦では悲惨な選択をしたが、第一次大戦ではすばらしい兵士だった」と語ったのが問題視された。「私は何も許さないが、歴史から何も消さない」。2022年7月大統領は、80年前の1942年7月、パリで起きたユダヤ人狩り犠牲者の追悼式典に参列。「フランスで起きたホロコーストの歴史を忘れてはならない。ホロコーストの記憶を次世代に継承するための教育が重要です」と語った。


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