【寄稿№3】ハノーバーの「事故物件」 | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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    <2022.5.27寄稿>                          寄稿者 たぬきち
    ドイツ北部ニーダーザクセン州の州都ハノーバー市は、ハノーバー庭園や見本市で有名だが、第2次大戦中にひどい空襲被害を受けた。広島市と姉妹都市提携を結んでいる。その州議会議事堂があるライネシュロス(ライネ城)は、かつて英国王ジョージ1世となった選帝侯ゲオルク・フリードリヒの居城だった。2016年夏、議事堂改修でエレベーター・シャフト掘削中、作業員が人骨を発見。
    発見された骨は、鑑定のためハノーバー医科大学に送られた。「ライネ城の骨」というだけで、ドイツ中が騒然となった。300年以上昔、王妃ゾフィー・ドロテアはゲオルク侯との結婚生活を捨て、幼馴染みのスウェーデン貴族ケーニクスマルク伯爵(ドイツ読みは、ケーニヒスマルク)と駆け落ちしようとしていた。伯爵は、城内で刺客に襲われ、永久に姿を消す。ゾフィーは離婚され、他の城に生涯幽閉された。ハノーバー侯お抱えの作曲家ヘンデルも伺候したライネ城のどこかに、必ず伯爵の遺骸があるという伝説が有名だった。

    このエピソードを巧みに利用して、第1次大戦後フランスの作家ピエール・ブノアは、『ケーニクスマルクの謎』を執筆して一躍流行作家となる。大戦直前、ハノーバーに近い架空のドイツの城で、フランス語の家庭教師となった青年が、アフリカで死んだはずの城主夫人の前夫の骸骨を、城の隠し部屋で発見する物語である。
    作中でブノアは、ケーニクスマルク伯爵失踪の史実も紹介し、「それにしても伯の死骸はどこへやったものやら、まったくわからないのだ」、「ある者は、庭の中へ穴を掘って埋めたというし、ある者は、「騎士の間」の敷石の下へいけてしまったのだというし、下水の中へ投げこんだので、城の下のライネ川へ流れて行ってしまったのだともいう」と、記している(高橋邦太郎訳『世界大ロマン全集第四十巻』昭和33年)。

    1926年、ブノアは日本旅行に船出する。途中、香港、上海、満洲へも足を伸ばした。当時の満洲の印象をもとに、1930年には、『真夜中の太陽』(奉天=瀋陽のキャバレーの名前)を公刊している。ウラル山脈南端の帝政ロシアの兵器工場技師だった主人公が、満洲で張作霖元帥の兵器敞技師となり、白系(反ソビエト)ロシア人の自称王女と再会し、すべてを捨てて「運命の女」の後を追うというものだった。1943年に映画化され、張作霖の軍事顧問だった松井七夫大佐がモデルの日本人マツイを、排日甚だしいハリウッドを離れパリにいた早川雪洲が演じている。

    長く独身を謳歌してきたブノアは、旅の同伴女性ルネ・ルフレールと、香港で挙式することを計画していた。彼女は、ギャンブル好きの「男装の麗人」といった、ブノアの小説に必ず登場する「ファム・ファタール(男を破滅へ導く運命の女)」だった。香港フランス領事館へ婚姻届の必要書類を送ってくれるよう、母、姉と妹に連絡すると、書類の代わりに猛烈な反対の手紙が来た。それよりも説得力があったのは、「アカデミー会員になれなくなるぞ!」(1931年に実現)という、作家仲間の手紙だった。彼女はドイツと革命ロシアの戦争を終わらせた条約地ブレスト・リトフスク出身で、ドイツやロシアのスパイ疑いもあった。
    日本びいきの駐日大使ポール・クローデルは、敬虔なカトリック信者で、未婚の二人が来日と聞いて仰天し、面会を断った。それでも二人は新婚旅行気分で、日光にも足を伸ばしている。出会った修学旅行の日本人生徒達と先生は、みなインフルエンザ予防のマスク姿だった。帰国後間もなく、二人は別れた。

    「ハノーバーの遺骨」は、どうなったか。ケーニクスマルク伯爵の失踪後、懸命に彼を捜した伯爵の妹には、英国在住の子孫がいた。DNA提供の意思ありということで、これは本物らしいとハノーバー州知事の記者会見まで準備されたが、会見は開かれなかった。発見された骨には再埋葬された痕跡がある。つまり、埋葬後に掘り起こされ、あらためて埋葬し直されたものということで、かつてライネ城にあった修道院の墓地が整理された際のものだったのである。
    事件後、遺骨が出るたびに、伝説も掘り起こされてきたのだった。DNA鑑定技術が急速に進歩した今、ライネ城から今度こそ本物の伯爵の骨が出現するかもしれない。


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