【寄稿№26】100年を隔てたパリ・オリンピック | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№26】100年を隔てたパリ・オリンピック



                                 
    <2022.11.28寄稿>                         寄稿者 たぬきち
    2024年7月の開会式、各国選手団はセーヌ川を船で「入場行進!」。パリ市内と近郊の会場で、「こじんまりとした」運営といいつつ、サーフィン競技は「タヒチで!」。ウクライナ戦争もコロナ禍も、終わっているに違いない。
    前回は1924年、夏季オリンピック第8回大会で、パリは1900年第2回大会に続き、2度目の開催(今回3度目)。1918年に第一次大戦が終わり、「狂躁(きょうそう)の20年代」を迎えていた。
    期待のヒーローは、「完璧アスリート」と呼ばれたジオ・アンドレ選手。各種陸上競技で数々の記録保持。フランス選手団長として旗手をつとめ、各国選手を代表し宣誓。だが最盛期を過ぎ、メダル獲得ならず。
    年齢のせい(1889年8月生、35歳)だけでなく、第一次大戦で負傷し捕虜生活3年も原因だった。大戦前、飛行機操縦を好みパイロット免許も持っていたが、開戦時フランス軍は航空機の有用性に気づいておらず、陸軍兵士として従軍。ベルギーの最前線、白兵戦(はくせいせん=刃物を使う近接戦闘)で手を負傷するも、ドイツ兵を銃剣で圧倒。だが頭と足に銃弾を受け捕虜に(ゴーダール『スタジアムの神にして空のエース』仏語 2021年)。
    ラグビー代表チームのスリークォーターバック・ウィング選手でもあり、行く先々の収容所では、「バイソン(野牛・猛牛)じゃないか!」と、敵味方から喜ばれた。5回目の脱走で帰国。
    戦後は、航空機の改良(技師でもあった)や、航空ジャーナリズムの最先端をリードした(航空雑誌も創刊)が、第二次大戦で北アフリカに脱出。1943年5月、チュニジアの地上戦で戦死。
    彼のエピソードで思うのは、知識人を出発点に「行動する知識人」というのは、しょせん無理だったということ。とりわけ当時の知識人と労働者の世界の隔絶感は、現代と比較にならない。デュ・ガール『チボー家の人々 一九一四年夏Ⅰ~Ⅳ』(山内義雄 訳 白水Uブックス)は、「ユマニテ」紙の創設者で開戦直前に暗殺された社会主義者ジャン・ジョーレスによる平和・反戦運動を描く。「チボー家」のジャックも賛同者だが、労働者には仲間入りできない。
    「ユマニテ」共同創設者ルネ・ヴィヴィアニは、ポアンカレ大統領のもと首相をつとめ、ロシア公式訪問にも同行。皇帝ニコライ2世の「汎スラヴ主義」による動員に自重を求めた。
    帰国後ヴィヴィアニは、全軍を国境から10キロメートル後退させ、ドイツ大使に、「こうしたフランスをドイツが攻撃することは、倫理上許されない」と言い渡したが、皇帝ヴィルヘルム2世は総攻撃を命じる。仏側は、ニコライ・ニコラエヴィチ大公(新たな総司令官)に、ドイツ軍への攻撃を早めるよう要請(ソルジェニーツィン『一九一四年八月[上・下]』江川卓 訳 新潮社)。
    作家セリーヌ(1961年没)新発見の『ロンドン』(仏語 2022年10月)は、既作『ギニョルズ・バンドⅠ・Ⅱ』(高坂和彦 訳 国書刊行会)と同様、第一次大戦の傷痍(しょうい)軍人としての英国逃亡生活(実際は、ロンドン大使館勤務)を描く。『ギニョルズ・バンドⅠ』では、「ヴィヴィアニ会社との結末はひどすぎた!」と言わしめている。
    第二次大戦直前、ダラディエ内閣も対ヒトラー融和策をとり、外務大臣ジョルジュ・ボネ(急進党=当時は、中道右派の社会主義政党)も戦争反対。ボネは、1938年11月9~10日「水晶の夜」(今年は、ドイツのケンタッキーが、これを祝日のように表現したミスがあり、物議を醸した)が起きると、リッベントロップ外相に、「フランスもユダヤ人を国外移送したい」旨を伝えたりしている。ボネはスイスに亡命したが、ドイツ・スパイ嫌疑は証拠不十分とされ帰国。
    1941年12月8日、日本がアジア・太平洋で英米の拠点を攻撃した。ロンドンの「自由フランス」も、日本と「戦争状態」に入ったと宣言。ヴィシー政府を承認していた日本は、これを無視(宮下雄一郎『フランス再興と国際秩序の構想』勁草書房)。
    ド・ゴール将軍の力は、日本軍が進駐したベトナムまで及んでおらず、かつてアルベール・ロンドル記者が運命をともにした豪華客船ジョルジュ・フィリッパー号の姉妹船「アラミス」は、日本名「帝亜丸(ていあまる)」として、戦時輸送に傭船(米海軍潜水艦の魚雷により、フィリピン沖で沈没)。日仏は、正式の戦争なしに終わる。
    ド・ゴールは、戦後の国際体制構築からフランスがはずされないよう努力。パリを解放したルクレール将軍は、急ぎベトナムに向かうが、ホー・チ・ミンの独立宣言に遅れた。
    「ニューヨークから帰って来る時、英国船に乗って来ましたがね」、「船のボーイがこう言いましたよ、『可哀そうに、フランス人は戦争に勝ったんだか、負けたんだかわからないようですね』とね。」(ボーヴォワール『レ・マンダラン』朝吹三吉 訳 人文書院)。
    100年前のパリ五輪では、新しいヒーローも誕生。米水泳選手ジョニー・ワイズミュラーである。5個の金メダルに数々の新記録。東欧のドイツ系移民の息子で、のち「ターザン」映画シリーズのハリウッド・スターとなる。ヨーロッパの衰退と、アメリカ合衆国の隆盛を象徴していた。

    [後記]知識人は女性の時代、そして
    「フランス知識人の100年」は男性中心だったが、最近の文学賞は女性が目立つ:
    2022年ノーベル文学賞 アニー・エルノー『若い男』 12月授賞式では、『悪魔の詩(うた)』のサルマン・ラシュディに賞を譲るつもりでいると、「ツァイト」誌;
    2022年ゴンクール賞 ブリジット・ジロー『速く生き』
    2022年欧州エッセイ賞 モナ・ショレ『魔女』(いぶきけい 訳 国書刊行会) スイス人だがフランスで活躍
    2017年旅行書籍賞 レティシア・コロンバニ『三つ編み』(髙崎=齋藤 訳 ハヤカワ書房)。
    ドイツも同様:
    2022年フロイト賞 イリス・ダーマン『抵抗 国家権力の分離』
    2022年ゲオルク・ブフナー賞 エミネ・セヴギ・オズダマル『影に囲まれた空間』 在独トルコ人作家
    2022年リベラトゥール賞 若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』(河出文庫)のドイツ語版。
    東北弁を、旧東ドイツ南部ザクセン州西端フォークトラント地方方言で示す。
    そして、ノンバイナリー作家:
    2022年ドイツ図書賞・スイス図書賞 キム・ド・ロリゾン『血の本』(独語) ドイツ系スイス人。
    「ノンバイナリー」の作家による「ノンバイナリー」な物語。「ベルン地方ドイツ語」方言や、「ノンバイナリー表現」が用いられ、解読に努力が必要。授賞式での化粧や服装は女性のそれで、濃く黒い口髭。頬と顎の剃り跡が青い作者は、席上、バリカンで髪を刈り、イラン女性へ連帯を示した(新しい「行動する作家」)。事前にたくさん脅迫が寄せられ、警備を強化。また、スイスのウエリ・マウラー元大統領・上院議員が、引退会見で後継者は、「es(エス=独語で、英語のイットit→男女を問わない中性)でなければ、だれでもよい」と発言。非難の嵐の中、「失言ではない、信念だ」と付け加え、事態は進行形! [完]


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