【寄稿№39】ルパン対ホームズ | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№39】ルパン対ホームズ




    <2023.4.14 寄稿>                                                                              寄稿者 たぬきち
    フランスの雑誌「ジュセトゥ(我は全知)」に、モーリス・ルブラン「怪盗紳士ルパン」が初登場した1905年には、イギリスの名探偵「シャーロック・ホームズ」シリーズは既にフランスでも大人気だった。同年は、1893年「最後の事件」で、モリアーティ教授とともにライヘンバッハの滝で死んだはずのホームズが、(ファンの声に押されて)「空き家の冒険」で復活した年である。
    最初のルパン連載の終盤で、「遅かりしホームズ」と両者にらみ合いのシーンを入れ、次は堂々の対決として「ルパン対ホームズ」にまとめ、アルセーヌ・ルパンこそ英国の名探偵に匹敵する大怪盗、というイメージを確立したのである。

    サー・アーサー・コナン・ドイルから苦情が寄せられ(自粛説も)、単行本では頭文字を入れ替え、「エルロック・ショルメ」(Hは黙字)と改め、日本語訳でも、これに従うものとそうでないものがある。ストーリー展開では双方引き分けか、探偵のほうがやや勝ちをおさめているようにも見え、英国側の受けは総じて良い(名探偵へのルブランの敬意を感じるという)。

    「ルパン」そのものが愛されたのには、また別の理由があった。ルパンは貴族の館や富豪の邸宅で名品ばかりを狙い、女性に紳士的で盗品を返すこともある。決して人を傷つけない。20世紀初頭にはもはや失われた保守的な存在として、「アクション・フランセーズ」を支持する田舎の人々か、あるいは、都会の「ミディネット」に好まれたという。
    「ミディネット」は、お針子や女店員、女子工員などを指す。「アクション・フランセーズ」は、ドレフュス事件(1894年)をきっかけに生まれた保守(国家・軍の権威を重視)・王党派・反ユダヤ(したがって、反ドレフュス)の運動体にして、機関紙名でもある。シャルル・モーラスは、両大戦終結までの長期間、「アクション・フランセーズ」の中心的な言論人だった。

    「ルパン」に次いで、1909年には「ジゴマ」、そして1911年には「ファントマ」が登場する。同年、「ジゴマ」が映画化され、殺人・強盗をいとわない神出鬼没の凶悪ぶりが、怖い物見たさで大衆人気を呼ぶ。レオン・サジイ作「ジゴマ」は、ツィゴイナー(独)やジタン(仏)に由来する命名で、怪盗は、その「ジゴマ団」の首領。
    一方、「ファントマ」は、シュールレアリストの芸術家たちに支持された。「ミラボー橋」で有名な詩人ギョーム・アポリネールは、ジャン・コクトーらを誘い、1912年、「ファントマ友の会」を結成。彼によると、それは単なる人気小説以上のもの。1914年7月16日の「メルキュール・ド・フランス」誌上で、次のように書いている。「ピエール・スヴェストルとマルセル・アラン作『ファントマ』朗読が、現在、文学界や芸術界の一部で非常に流行しています」。「ファントマは、想像力の観点から、現存する最も豊かな作品の1つです」。ファントマ人気は第1次大戦後も続くが、アポリネール自身は、1918年末、従軍した結果の戦傷病とスペイン風邪で死去。

    第2次大戦では、実際の開戦からわずか1か月でパリ陥落(1940年6月)、「アクション・フランセーズ」を率いるシャルル・モーラスは、ペタン元帥のヴィシー政府を支持した。反独主義者だったが、国家統合の維持を最優先し、対独協力を黙認。連合軍やド・ゴール将軍の自由フランス軍にも反対。
    1945年の粛清(しゅくせい)裁判で終身刑。宣告に、「これはドレフュスの復讐だ!」と叫んだという。クレアヴォー刑務所でも執筆を続けたが、1952年11月、医療恩赦によりトゥールの病院で死去、84歳。
    2022年12月末、クレアヴォー刑務所は老朽化で閉鎖された。フランス革命時にシトー会修道院を没収し、刑務所としての長い歴史がある。日本赤軍によるハーグ事件を支援目的で、パリで爆弾を投げたテロリスト「ジャッカル」ことイリイチ(ロシアの革命家レーニンから)=ラミレス・カルロスも、ここに収容されていたことがある。

    2018年1月、フランス文化大臣のプレスリリース『国家記念書籍2018』が公表された。冒頭、『国家記念書籍2018』編纂にあたり、シャルル・モーラスの著作の掲示と言及を完全削除したことを強調。
    「国家記念書籍」をめぐる論争は、2011年にも、フェルディナンド・セリーヌ(親独・反ユダヤ作家とされた)に関して生じた。国家記念高等委員会の作業は、「祝われる栄光の時間」のみに限定するのではなく、フランス史の「暗黒の時間」にも及ぶとされた。だが、その記念式典は、国を代表して共に祝おうという呼びかけであり、これは、フランス社会を分断する可能性が高い。
    モーラス没後70年が2022年11月だから、2023年1月1日をもって彼の作品は「パブリック・ドメイン」入り(著作権切れ)。いずれ全著作が精査され、彼の超保守・反ユダヤ主義をめぐる論争に決着を見ることだろう。

    時を同じくして、コナン・ドイル最後の作品出版から95年が経過、米国でも「ホームズ」が2023年1月1日「パブリック・ドメイン」に。米国での著作権保護期間は、ディズニーの「ミッキーマウス」保護のため引き延ばされたが、2024年1月にはミッキーも「パブリック・ドメイン」に入る。
    「ルパン」のルブランは1941年11月没で、米国以外70年経過の2012年に著作権切れ。そこで、宮崎駿監督の長編アニメ映画「ルパン三世 カリオストロの城」も、日本公開から40年後の2019年1月、やっとフランス初上映された。

    だが、「ホームズ」は(そして「ミッキーマウス」も)まだ米国では安心できない。英国のドイルの縁者につながる人物らと、米国の「コナン・ドイル遺産」会社が対立。前者は後者をライセンス料漁りの「パテント・トロール(特許の小鬼)」と非難。遺産会社側は「商標権」をもってパブリック・ドメイン後の権利主張を企図している。
    日本でも、カプコンのゲーム「大逆転裁判1&2」は日本向けにシャーロック・ホームズとワトソンが登場するが、海外向け「The Great Ace Attorney 1&2」では、「ハーロック・ショームズとウィルソン」としている。

    実存主義哲学者ジャン=ポール・サルトルも、ルパンが大好きだった。「彼のヘラクレス的腕力、狡猾な勇気、いかにもフランス的な知性・・・」(白石=永井 訳『言葉』人文書院)。
    いまフランスでも米国でも大好評のNetflix作品「ルパン」では、セネガル出身の黒人青年アサーンが、ルパンの手法を学んで父の仇を討つというストーリーで、第3シーズンまで重ね、ルパン本が売れているという。
    フランツ・ファノンの著作で、植民地問題に、「ヨーロッパ人を殺すことは一石二鳥であり、同時に抑圧者と抑圧された者を排除することである。死んだ人と自由な人が残る」と、過激な序文を押しつけたサルトルに、このNetflix作品を見せたら(1980年に死去しているが)、喜ぶだろうか。それとも、「子供時代に読んだルパンと違いすぎる」(1905年生まれ)と言うだろうか。

    「松岡正剛の千夜千冊」では、「ともかくぼくは、アルセーヌ・ルパンの一から十まで、大好きで大好きでたまらない少年だった。むろん少年少女名作全集のたぐいで読んだ。表紙や挿絵には山高帽をかぶってマントをひるがえす片眼鏡のルパンが、いつも半分は黒々としたシルエットで描かれていた」という。
    「そういうルパンを最初に夜を忘れて読んだのは『怪盗紳士ルパン』か『泥棒紳士ルパン』と銘打った大判のダイジェスト本だったとおもう。ひょっとしたら日本出版協同のルパン全集か、ポプラ社の全集だったかもしれない。それをくりかえし読んだ」。「そのせいで、いつかは高級な美術品や歴史的な宝石しか盗まない大泥棒になってみたいと決心したほどで、その妄想がぐるぐるしていた」。
    「それほどルパンには憧れていたので、学生になってからも20代になってからも、こそこそルパンを読みつづけた」のだが、「ただしモンキー・パンチの《ルパン三世》は好きにはなれなかった。あれはアルセーヌ・ルパンにはほど遠い」(松岡氏は1944年生まれ。世代感覚かもしれない)。

    フランス側は『ルパン三世』に好意的で、「フランス文化が日本で尊重されていた」、「エドガー(著作権に配慮)は、ルパンの孫なんだ」と、評判を呼んでいる。


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