【寄稿№55】ナポレオンの現在(いま) | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№55】ナポレオンの現在(いま)



                                                                               
    <2023.10.2寄稿>                                                                               寄稿者 たぬきち
    1814年3月、モスクワから追われ、疲れ切ったナポレオン軍が、パリ南東フォンテーヌブローにたどり着く。
    追撃するロシア皇帝アレクサンドル1世とコサック(ロシアの騎馬集団)騎兵中心の近衛旅団を先頭に、ドイツほかの諸国軍がパリに迫っていた。

    パリでは、1800年にナポレオンによって設立された中央銀行であるフランス銀行の評議会が、保有する金貨・銀貨をどう避難させるか、まだ議論中だった。
    発行済み紙幣は「兌換券(だかんけん)」で、貨幣と交換可能。急ぎ市民に知らせ、金銀貨を持ち帰ってもらうことになった。
    これから略奪に遭う者もあれば、うまく逃れる者もあるだろう。究極のリスク分散である。

    代わりにロシア皇帝は、パリ造幣局に案内され、急きょ新鋳された、表裏が自分とピョートル大帝の記念メダルを献呈され、大感激。
    その厳命で、大きな混乱は起きず、パリでは、両脇に二丁拳銃を差し、腰には鞘なしのサーベルを下げたコサック兵士の闊歩する姿が珍しがられた。

    ナポレオンは、退位してエルバ島へ。世継ぎを求めてジョゼフィーヌと離婚し、再婚したオーストリアのフランツ皇帝の娘マリー・ルイーズは、「ローマ王」(父ナポレオンは、「イタリア国王」も名乗った)として生まれたフランソワ(4歳)を連れて、ウィーンに戻った。

    1815年ナポレオン2度目の退位後、パリで、フランソワは皇帝「ナポレオン2世」と宣言されたが、戴冠には至らない。
    母マリー・ルイーズは、「両シチリア」(シチリアとナポリ)公妃として一人ウィーンを去り、身近な相手と再婚して、息子を顧みることはなかった。

    祖父の宮廷に住んだフランソワは、ドイツ語だけを話し、オーストリア風に「フランツ」と呼ばれた。
    肩書きのみ「ライヒシュタット公爵」の称号を与えられたナポレオン唯一人の嫡男は、1832年、21歳で肺結核により死去。

    この悲劇に触発された作家エドモン・ロスタンは、『シラノ・ド・ベルジュラック(鼻のシラノ)』で成功を収めたばかりだったが、大女優サラ・ベルナールの求めに応じて、『レグロン(エーグロン・鷲の子)』を執筆。
    「鷲(ワシ)」は、故ナポレオンの紋章。復活したブルボン政権下では、ボナパルティストを公言できず、代わりに「鷲の歌」が流行したという。

    1900年3月、自分の名を冠した「サラ・ベルナール劇場」での初演以来、実に2年連続で好評を博した。その舞台では:
    ウィーンの宮廷にもボナパルティストがいて、ナポレオンに仕えた老兵の元軍曹を招き入れ、偉大な父親の後継としてパリに戻るよう、若者を説得させる。
    公は、仮面舞踏会に乗じてシェーンブルン宮殿を脱出しようとしたところで、高熱で倒れた。
    「私は叔父のミュラ(ナポレオンの義弟)のように突進する!」
    「おお! コルシカ人の息子」
    「ここは戦場だ!...戦いの音が聞こえるか?」
    「我々は、ヴァグラム(ウィーン近郊でのナポレオン軍とオーストリア軍の衝突の場)にいる。...皇帝は、小さな望遠鏡を持ち上げた」。
    熱が高まる公爵。
    額の汗をぬぐう公爵。「神様!」
    「私は死ぬ...青白い空の下で!」
    (洪水が上昇する前のように後退しながら、彼は平原全体が見える丘の頂上に避難した。)
    公爵(よろめきながら)。
    「ああ! 鷲はどこにいる?」
    公爵は動かず、凍りつき、唇からは二筋の血が流れ出ている...
    老胸甲(きょうこう)騎兵(・重騎兵)、うめき声を上げながら、袖口が血まみれの恐ろしい籠手(こて)を伸ばす!
    「皇帝万歳!」
    ひざまずく公爵。
    (そして立ち上がる。)
    「あなたが命じた、この混乱の中で戦えと、おお、父よ!」
    「将校…下士官…兵士…」
    公爵は夢中になり、サーベルを抜いた。
    「はい! 私は戦っているのです!」
    (彼自身のほかに、架空の擲弾(てきだん・手投げ弾)兵を率いている)
    (サーベルを振り上げ、彼はオーストリア連隊の前陣に向かって突進する。)
    公爵はひどい叫び声をあげて目覚めた。
    病室での発熱による意識障害。
    「さらば、フランツ!」
    「さらば、ボナパルト!」
    「ローマの王様!」
    「ライヒシュタット公爵!」
    公爵は、夢中で、
    「馬! 馬」
    「父に会いに行く馬たち!」
    使者は三度、聖歌隊の中で「ローマ王万歳!」と叫びました。

    既に56歳の大女優は、純白に金モールの軍服に身を包み、21歳のライヒシュタット公を演じたが、批評家は、「男装の麗人を目にして、男の自分も女装してみたいと思ったほどだった!」と、絶賛した。

    1940年、アドルフ・ヒトラーは、占領したパリで、アンヴァリッド(廃兵院)の皇帝の墓に参詣。パリ駐在ドイツ大使オットー・アベッツに命じて、ウィーンのカプチン修道会の地下室に葬られたナポレオンの息子の遺灰を送還させ、ナポレオンのそばに安置した。

    1852年に「ナポレオン3世」として即位したのは、ナポレオンの「エジプト・シリア遠征」にも同行した、すぐ下の弟オランダ王ルイの息子シャルル・ルイ。第2帝国を築いた。
    その廃帝3世の一人息子ウジェーヌ「ナポレオン4世」は、英軍に加わり、1879年、アフリカのズールー戦争で戦死。
    彼から後、「5世」以降はボナパルティストによる儀礼称号であって、全員「王子(プランス・プリンス)」と呼ばれる。

    一方、ナポレオンの末弟ジェロームが、この動乱期をうまく乗り切って子孫を残し、現代につながる。ジェロームは、ドイツのウェストファリア国王だったが、ウィーン郊外に避難。フランスに帰国後は、甥のナポレオン3世を支持して国会議長もつとめ、天寿をまっとうした。
    4世の遺言により、ジェロームの息子ヴィクトールが、「ナポレオン5世」となる。第1次大戦(1914~18年)時、ベルギーから、帝政復帰の機会を狙ったが、1926年、ブリュッセルで死去。

    「ナポレオン6世」となったヴィクトールの息子ルイは、父親がフランスに何も貢献しなかったと不満だった。1939年、第2次大戦(~45年)が勃発すると、彼は偽名でフランス外人部隊に志願した。
    1940年、仏独間で休戦協定が結ばれると、彼は、レジスタンス組織「マキ」の大隊に加わって、戦い続ける。
    彼の側には、ナポレオンの「エジプト・シリア遠征」時同様、ミュラ元帥(ナポリ王)の子孫であるジョアシャン・ミュラ7世王子がいた。
    偵察任務中に、いとこのミュラは、ドイツ軍の銃弾を受け戦死。ルイは、かろうじて死を免れたが、肩を負傷し、脚に榴弾の破片を受けた。

    ド・ゴール将軍はルイに会いに行き、彼を中尉に任命し、アルプス猟兵連隊で軍務を続けることを許可した。
    「クロワ・ド・ゲール(戦功十字章)」を授与され、皇帝ナポレオン1世の男系で唯一の子孫として栄誉を高めた。

    ルイの長男シャルルは、戦後生まれ。父親とは反対に、社会党寄りの政治活動を経て、オランド元大統領を支持。
    「両シチリア公女」との結婚・離婚を経て、一般女性と再婚。母アリックスは、そうした息子に納得できず、孫のジャン・クリストフに「ナポレオン7世」の称号を与えるよう差配した。
    シャルルは、「この称号が、共和国にとって、真に何を意味するのかを知るため」として、パリ行政裁判所に質問状を提出(同『ボナパルトの自由』 Grasset 2021)。

    パリ行政裁判所の回答 - 第21号 - 2009年11月 - 貴族の称号の検証
    「王子とされる称号は、もはや法的に存在しません。したがって、共和国には、これを配分する権限がありません」。

    2019年9月、ハーバード・ビジネススクール出身ロンドン在住の銀行家ジャン・クリストフ・ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン7世:この時33歳)は、オランピア・フォン・アルコ・ジンネベルク(31歳)と、アンヴァリッドで挙式。彼女は、オーストリア最後の皇帝カール1世(1887~1922年)の曾孫娘。

    2021年5月5日、ナポレオン没後200年を迎え、マクロン大統領がアンヴァリッドの墓を訪れた。ナポレオン7世も、式典に出席。
    1969年に生誕200年を記念した、ポンピドー元大統領以来の出来事であり、シラクやサルコジといった保守系大統領は、世論の反発を恐れて触れなかった。

    2022年12月7日に、男児ルイ・シャルル・リップランド・ヴィクトール・ジェローム・マリー・ナポレオンが生まれた。
    両親の組合せといい、まるで夭折(ようせつ・若くして死ぬ)したライヒシュタット公ナポレオン・フランソワ・ジョゼフ・シャルル・ボナパルトの生まれ変わりのようだが、「フランソワ」は、新生児の名前に見当たらない。

    名作SF映画『ブレードランナー』のリドリー・スコット監督が、歴史超大作『ナポレオン』を制作(2023年12月日本公開)。
    皇帝ナポレオン・ボナパルトだけでなく、皇后ジョゼフィーヌにも焦点を当て、注目されている。

    セーヌ川の方へ歩を進めてみよう。聞こえてくる歓声(かんせい)は、2024年7月、パリオリンピックのトライアスロン競技、オープンウォーター・スイミングの選手達を応援する観客のものか。
    それとも、1814年4月、軍馬を川に入れ、自らも水浴するコサック兵士を見ようと、コンコルド橋に群がる物見高いパリっ子達のそれか。


     


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