【寄稿№62】「レミグラシオンremigration」再定住をめぐって | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 【寄稿№62】「レミグラシオンremigration」再定住をめぐって





    <2024.1.31 寄稿>                                 寄稿者 たぬきち
    パリのさるオフィスで、知的なアフリカ系カップルに会った。
    「ここで生まれ育ったのに、タクシーに乗るたび、運転手にフランス語を褒められる」。
    ルーツは、二人とも中米カリブ海のマルチニク島にあって、バカンスで出かけると、親戚一同が歓迎してくれるそうだ。
    先祖は奴隷として、アフリカからマルチニクへ連れて来られたという。

    ナポレオンの妻ジョゼフィーヌは、マルチニク島の農園主の娘だった。サトウキビ栽培と砂糖製造のため、大勢の奴隷が働いていた。

    フランス(1848年)よりも早く、イギリスは、奴隷貿易を禁止し(1807年)、奴隷制を廃止(1833年)した。すでに1772年の判例で、「英本国内に限り」奴隷を認めないとされている。
    解放奴隷や逃亡奴隷の一部は、アメリカ独立戦争(1775~83年)にイギリス側で従軍。英領ノバスコシア(カナダ)移住を認められたが、高緯度の寒冷地になじめず、「再定住」を求めた。
    英本国でも、とりわけロンドンの「ブラック・プア」が問題となる。
    船上で働き寄港先で脱走したり、富裕な主人宅から解放されても、貧困と犯罪に陥り、「再定住」は好都合な解決策だった。

    1767年、英国の活動家たちは、奴隷貿易の根拠地でもあった西アフリカ「シェラレオネ(ライオン岩)」の一部を、現地有力者らから購入。
    運動の中心人物にちなみ、「グランビルタウン」と命名。その後、英王室領、そして植民地「フリータウン」とする。
    1787年、1か月の航海で多くの犠牲者を出しながら、「再定住」第1陣が到着。

    1937年1月、フランス植民地大臣マリウス・ムテが、マダガスカル、ニューカレドニア、ニューヘブリディーズ諸島、仏領ギアナのフランス植民地に、ポーランドのユダヤ人を定住させられる可能性があると声明。
    とりわけマダガスカルの現地政府とは、これを具体的に話し合っているという。

    ムテは社会主義者で、妻はロシア系ユダヤ人。仏領ギアナの流刑地廃止にも踏み切っており、イギリスがパレスチナ移民数を制限したことから、ヨーロッパのユダヤ人問題解決にも取り組もうとした。

    ポーランド政府は乗り気で、マダガスカルに調査団を派遣したりしたが、フランスの政変で立ち消えとなり、ヒトラーの「マダガスカル計画」へと継承される。
    だがそれも、イギリスの海上封鎖により実現しなかった。

    2023年11月、ポツダム。オーストリア極右で、ヨーロッパ民族の優位性を説く「アイデンティティ運動」の創始者マルティン・セルナーを迎え、右翼ポピュリスト政党AfD(ドイツのための選択肢)や、野党CDU(キリスト教民主同盟)内の保守派も加わる秘密会合が開かれた。
    北アフリカに「モデル都市」を作り、ドイツ社会に「同化していない」多数の外国人および外国出身のドイツ人を「再定住」させるという、彼の提案を議論。

    1942年の「ヴァンゼー会議」(ナチスの高官たちが「ユダヤ人絶滅計画」を話し合った)の場所に近く、ヒトラーがオーストリア出身であったこともあって、ドイツ国内ではAfD反対デモが激化。
    これは、ヒトラーの「マダガスカル計画」の再来だという。

    そして2023年12月31日、ベルリンをはじめドイツ全国で、ロケット花火や爆竹を使った「大晦日(おおみそか)暴動」が起き、市民だけでなく、警察官や消防士、救急隊員に多数が負傷。
    暴徒が「同化していない」者であったか、議論が続いている。

    1979年12月31日の大晦日、私はハンブルクで雪かきをしていた。
    同月28日来、ドイツ北部は「大雪災害(シュネー・カタストローフェ)」に見舞われ、長距離列車の乗客達が、核戦争用の地下シェルターに収容されたそうだが、都会の我々はその程度だった。

    デンマーク国境近くの村々は、雪で孤立。
    雪の重みで送電線が切れ、停電に見舞われた牧場では、乳牛の搾乳もできないという。
    ドイツ連邦軍は、ブルドーザー仕様の戦車で、雪原に道を開こうとし、軍用ヘリが物資を投下。
    産気づいた妊婦たちが空輸され、無事に生まれた子供は「ヘリ・バービー」と呼ばれ、長く部隊のマスコット扱いだった。
    この1978~79年の冬は、のちに「世紀の冬」と呼ばれることになる。

    ドイツの大晦日は、テレビで恒例の「一人の晩餐会(Dinner for One)」をみる。
    1963年に北ドイツ放送で初放映された、英国人喜劇俳優二人だけの短編で、2023年に至るも同様。

    女主人90歳の誕生日、親しかった4人の男性達が招かれているが、実はみな故人。
    老執事がゲスト全員の代役をつとめ、4人分の乾杯で酔っ払う。
    酔いが進み、虎の皮の敷物につまずいたり、花瓶の水を間違えて飲んだりする。

    全編、英語の会話で、字幕もない。
    聴覚障害者のためのドイツ語字幕付きや、カラー化、ドイツ人キャストによる新版、あるいは、ドイツ各地の方言版もあるそうだが、オリジナルのモノクロ動画が一番人気。

    要領のよい視聴者は、女主人が命じる乾杯の酒(シェリー、シャンパン、白ワイン、ポルトーの順)を用意し、テレビの前で一緒に年越しの乾杯!
    スウェーデンでは、酔っ払いすぎるとして、放送禁止だった。

    ショルツ首相の2024年初頭の演説は、「まるで『一人の晩餐会』のようだ」と酷評された。ドイツ不況の現実を見ず、対処方針も語らない。

    ギリシャ発の「2010年ユーロ危機」では、当時のメルケル独首相とサルコジ仏大統領が主導した緊縮財政政策で、これを乗り切った。
    知らぬ顔のキャメロン英首相と、メルケルに従ったサルコジの姿が対照的だった。

    そこで2011年12月31日、「一人の晩餐会」のパロディが登場。
    メルケル女主人とサルコジ執事、財政危機で失脚したギリシャやスペインの元首相や、言うことを聞かないキャメロン首相も招待。イタリアのベルルスコーニは、虎の皮の敷物!
    「大陸では皆、ドイツ語を使うことになったのよ」と、メルケルがキャメロンに言う。

    この時に、メルケル主導でドイツ憲法に導入された「債務ブレーキ」条項(健全財政の維持をいう)が、いまショルツ首相の手足を縛っている。
    不況のEU全体が、財政規律の緩和を検討し始めた。

    キャメロン首相の失脚は、2010年の選挙で、イギリスの年間移民人口を10万人未満に制限するという公約にさかのぼる。2016年、「ブレグジット(英国のEU離脱)」をめぐる国民投票で、予想に反して離脱が成立。これも、移民問題の影響で、キャメロンは退陣する。

    2012年、キャメロン政権下のテリーザ・メイ内務大臣(のち首相)は、不法移民に対する「敵対的環境政策」を発表。
    雇用主、家主、医師、銀行等による、滞在許可証や運転免許証のチェックなど、あらゆる社会階層で、出入国管理を導入するものだった。

    その無理は、「ウィンドラッシュ・スキャンダル」でピークに達した。
    「ウィンドラッシュ世代」は、第二次大戦後の1948年に、カリブ海諸国から最初の移民グループをイギリスに運んだ船「エンパイア・ウィンドラッシュ」号(元ドイツ客船で、1954年、横浜、呉で、朝鮮戦争の国連軍兵士を乗せ帰航中、地中海で火災沈没)にちなんで名付けられた。
    英植民地で生まれたことにより、英本国での定住権が与えられ、入国管理なしだった。

    この政策で、カリブ海生まれの高齢者が標的になり、不法移民として扱われた。
    英本国で生まれ、両親が「ウィンドラッシュ」移民だと、出生時に両親が合法的に英国にいたことを証明できなかった。
    多数の不服申立で、内務省に調査対応チームが設けられ、是正と補償のうえ、2023年9月、内務省のチームは正式解散。

    その間、2022年6月、当時のボリス・ジョンソン首相は、「難民がドーヴァー海峡で命を失う事態を思いとどまるよう」、ルワンダ向け「再定住」第1便を空路出発させようとしたが、裁判所の差止命令が出た。
    リシ・スナク首相は、2023年11月、「メルケルやサルコジにも勝った」キャメロン元首相を外務大臣に任命し、外交を強化。
    「再定住」新法により、ルワンダ移送を再開したいのだが、現在、上院は、現地での安全確認が足りないとしている。

    フランスでも、マクロン大統領が、「移民を規制し、統合を改善するため」の「新移民法」を公布。1月27日官報に掲載された。
    「憲法評議会」による条文の合憲性審査の結果、社会保障へのアクセスの厳格化、毎年の移住枠、家族再会(呼び寄せ)基準の厳格化、留学生の居住権(「返還保証金」を含む)、社会保障(住宅補助金、家族手当など)、不法滞在の犯罪化に関する規定だけでなく、緊急宿泊施設の剥奪と無条件の終了といった、右派からの圧力で採用された多くの措置を削除。
    これでは、移民抑制の実効性を欠くと批判されている。

    2014年、イスラエル政府は、「第三国」と秘密協定を結び、これらの国々へのスーダン難民等の「自発的出国」を始めたと発表。
    しかし実情は、ルワンダとウガンダの首都キガリまたはカンパラに到着すると、密輸業者の手を経て、ヨーロッパ向けの難民と化すのだという。
    2018年には、国内で反対運動が起き、停止された。
    2024年1月、ガザからコンゴ共和国への新たな「再定住計画」は否定したが、ガザ地区の住民を地中海の人工島に移す可能性を示唆。

    スティーブン・スミス『ヨーロッパをめぐる争奪戦:旧大陸に向かう若いアフリカ』(仏文2019年)は、ヨーロッパの植民地帝国主義時代の「アフリカ争奪戦」の逆転である。
    2019年の「ヤング・アフリカ」は、人口13億人で、その40%が15歳未満。30年後には24億人になると予想。
    対するヨーロッパでは、5億人の高齢化が進んでいる。
    彼らの大量移住は、21世紀の最大の課題の一つとなるだろう。「国境なき福祉国家」は幻想であり、ヒューマニスト的価値観の墓場だという。


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