【寄稿№65】私の大発見! | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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    <2024.3.21寄稿 >                         寄稿者 Koala
     皆さん、「旗竿地」ってご存じですか?不動産屋さんは敷地の形から「はたざおち」と言ったり、敷地延長の土地を略して「しきえん」なんて言ったりするそうです。役所の人に聞いたら「ああ、路地状敷地なんですね。」なんて言われました。
     私の実家の敷地は典型的な旗竿地です。整った真四角の土地に比べると厳しい評価を受けるのはもちろん知っています。なぜ両親が他の区画(全部で7区画の宅地分譲)を選ばずに旗竿地を選んだのか疑問ですが二人とも亡き今となっては定かではありません。取得の経緯をもう少し詳しく聞いておけば良かったのですが土地の購入を決めた父が私に非難されたと勘違いして落ち込むのも困ると思って結局聞かずじまいになってしまいました。私が想像するに父が国鉄に勤めていたからなんだと思います。若い人からは「国鉄?だから??なんで???」って思われるかもしれませんね。民営化前の正式名称は日本国有鉄道、略して国鉄、今のJRグループ各社です。つまり、父は準公務員だったんですね。国鉄職員は電車で移動するのが常だったし、昭和30年代のことですから車を持つなんて発想が無かったのでしょう。広くて安い、奥まっていて静か、そんなプラス思考で若かりし頃の父と母が納得してマイホームを建てたんだと思います。まぁ、他人の辛口評価なんてどうでも良いのですけどね。
     でも、相続して私が困ったのは道路に接する間口が2mギリギリしかないことなんです。しかもお隣りさんと通路を提供しあっての約2m!ご存じでしょうか?家は道路に間口が2m以上接しないと新築できないんだそうです。昭和30年代の不動産屋さんはかなりいい加減だったらしく、「お隣りさんがあなたの通路側に玄関を造りたいって言っている!」などと勝手なことを言い出していつの間にか途中からそんなふうに売買条件が変わったんだと父は言っていました。争いごとが嫌いで気の弱い父があまり深く考えないで押しの強い不動産屋さんの営業トークに「はいはい」と答えたことは何となく想像がつきます。だけど通路に関する取り決め書なんてありませんし、お互いに世代交代してしまって今は何が何だか良く分かりません。なぜそうなってしまったのか良く分かりませんが(たぶん通路問題で揉めて)一時は母がお隣りさんに「通行料」を毎月お届けする肩身の狭い思いをしていた頃があったのは良く知っています。(なぜかある時から払わなくて良くなったんですけどね。何ででしょう?) 
     相続の税務申告は勉強して何とか自分でやり遂げました。その過程で気付いてしまったんです。いや、それは私にとって世紀の大発見だったんです。半世紀に渡る通路問題には大きな誤解がありました。土地の相続評価を算出する為に法務局で「地積測量図」というものを取得したんですが、それを眺めているうちに数値に違和感を覚えたんです。その図面には求積表という記載部分があるんですけど、明らかに掛け算の答えがおかしいんです。そのあと法務局に確認して分かったんです。昭和30年代作成のその地積測量図の単位はmではなく尺貫法の「間(ケン)」で書かれていたんです。つまり、父と母が間口1mと思い込んでいた「1」はなんと約1.82m!お隣りさんの土地を通らせて貰っていたのではなく、お隣りさんを通してあげていたんです。内心「単位ぐらいちゃんと書いといてよ~。」って不動産屋さんと法務局に憤りを感じたのと、父が言っていた「あとからお隣さんの玄関が通路側にできることになった」の意味がようやく理解できました。
     不動産屋さんが「せんみつや」って言われていた時代のことですから、きっとお隣さんには調子の良いことばかり言っていたんだと思います。もう過ぎてしまったことなのであまり気にしないことにしています。お隣りのおじさんはちょっとこわもてだったけど、おばさんは幼少期の私を見て可愛いって言ってくれた良い思い出だってありますしね。

     


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