
<2026.11.2寄稿>
寄稿者 たぬきち
幼い頃の私は「鈍(どん)」だった。近くに遊び友達もいないので、「仇名(あだな)」ではなくて、大人からの評価である。「鈍(どん)」は、鈍重の「鈍(どん)」で、なにごとにも動作が遅い。私からしたら、それは私のせいではない。
昼間の「入ってはならない公園」前から戻れば、「お店」では曾祖母の指揮の下でおねえさん達が開店の準備をしている。祖父と祖母は一人息子と一人娘で、どちらの家名を残すかで両家の折り合いがつかず、祖母は、これまた一人娘の生まれたばかりの母を残して離縁になり、私には曾祖母(祖父の母)しかいなかった。外へ出たら「車にひかれる」、「人さらいにあう」、「石につまづく」のだから、行儀よくそばに座ってお菓子でも食べていなさいというのだから。おかげで、私の乳歯は虫歯だらけだった。
見知らぬ大人が知らない子供にも気軽に声をかける時代とあって、例えば、私が昼間一人で「お店」の前で独楽(こま)回しをしていると、紐がずるりと解けて独楽がごろりと倒れる。通りがかりの男性が、「やあ、『鈍』なやつだなあ! ちょっと貸してみろ。いいか、紐はこんなふうにしっかりと…」といった具合だった。幼稚園へ行くときが近づくと、母までが、「この子は『鈍』だから、ほかの子らと一緒にするのは心配」だと言った。
幼稚園は(当時は年長のみ)、あの「入ってはならない公園」の向こう側にあるのだが、やはり通園に「入ってはならない」。公園の外をぐるりと遠回りをして往復する。それは少しも苦にならなかったが、驚いたのは、幼稚園には「駆けっこ」の時間があることだった。うそのような話だが、それまで私は走ることを知らなかった。周囲に子供はおらず、走ろうとすれば叱られるだけ。それが、幼稚園の女先生が笑顔で、「ヨーイ!」パチンと手をたたくと、園児らが歓声を上げていっせいに駆け出す。私ときたら、まず先生の「パチン!」にギョッとし、皆の背中を見ながらよろよろ駆け始める。けれども、それが一向に苦にならないのには理由があった。
幼稚園で初めて出会ったK君は、あの繁華な商店街の向こう側の裏通りの小さなお好み焼き屋の息子だった。3歳ほど下の弟がいて、二人とも、縦も横も私の二倍ぐらいはありそうな体格をしていた。色白で大柄できれいなお母さんに似て、彼も白くて長い手足でゆったりと走る。競走にはまるで関心がないらしく、つまずきそうに駆ける私の後ろを長距離ランナーみたいについてくる。だから私は、「ビリじゃないよ!」と両親に言い訳できるのだった。K君は、「お父さんは、しゅっちょうちゅう」と笑顔で言った。
こうした状態は、小学校へ上がってからも続いた。小学3年生の頃の運動会の写真がある。胸をそらして懸命に駆ける私の後ろを、K君は相変わらず長い手足で流すようについてきている。二人は、まるでトップを争っているように見えるけれども、これは私の父の自慢の「ライカ」カメラでの巧みな撮り方のせいで、私の前には走者全員がいるのだった。
それから私は急に足が速くなる。まるでスポーツ万能の父の遺伝子が目覚めたみたいだった。なにしろ父ときたら、ドロボーを追いかけて追い越して止まれず、やっと戻ってみたら二番手の友人がそのドロボーに刃物で襲われており、そいつを柔道で投げ飛ばし…。「だからおまえは、決してドロボーを追いかけてはならない」というぐらいだった。けれども大きな理由は、祖父が廃業し、他人に貸してあった町はずれの地所へ移り住んだせいだった。小学校区ぎりぎりで転校は免れたが、地元の子供らとも遊ぶようになり、土起こしをした畑に踏み込んでお百姓さんに怒鳴られ、浜辺に干してあるイリコをつまんで漁師のおかみさんに叱られた。私の足はどんどん速くなり、最後は本当にトップを争うほどになった。ゴールインして後ろを振り返ると、相変わらずクラス全員の後ろに肩から上ほども高いK君が悠々と駆けているのだった。
小学校高学年のある日、K君が、「お父さんが出張から戻った」と言った。「えっ、そりゃすぐにご挨拶に伺うよ!」と、温泉街の小学生はもう大人気分だった。相変わらず色白できれいで大柄なお母さんは、汗を流しながらお好み焼きを焼いており、奥の狭い座敷にまるでお相撲さんのような大柄な中年男性が浴衣姿で座っていた。「そうか、そうか。仲良くしてやってくれなあ」、「ハイッ!」と、一度きりの出会いだった。
まるで持ち上がりのようにして全員が中学校に進学したものの、K君はもう私の前には姿を見せなくなった。温泉町の中心が学校区というのでは、あまりにも皆の境遇が違っていて、似た者同士の交流しかなくなっていたからである。そしてK君は、中学2年生の時、私のあの「入ってはならない公園」で刺殺された。父が差し出す新聞に何が書かれていたか、覚えていない。学校の説明だって…と、このたびの辺野古の出来事で思ったことだった。談合もなく、見返りも求めず、K君は私の人生のスタートダッシュを支えてくれたのだと思う。