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【寄稿№93】 280万円の別荘を見に行って、27時間帰れなくなった話

<2026.6.11寄稿>
寄稿者 K. Hayama
不動産業界に長くいると、つい土地の広さや駅からの距離、築年数や利回りといった数字で物件を見てしまう。
しかし、そんな私が「不動産の価値とは何か」を改めて考えさせられた出来事があった。今年の冬、伊豆半島での大雪の話である。
2026年2月8日、日曜日。
前日に期日前投票を済ませていた。高市氏が率いる自民党が大勝した日である。
多くの人は政治の話題としてその日を覚えているだろう。
私は違う。
二十七時間の渋滞に閉じ込められた日として忘れることができない。
その1週間前、私は伊豆の宇佐美で280万円の海の見える別荘を見つけた。さっそく仲介会社に電話して、次の日曜日にその物件の見学をしたいと予約した。伊豆は近いようで遠い。朝から出るにしても少しでもグズグズしてると、14時のアポに間に合わない。私は家内を連れ、念のため前日から伊豆に前乗りすることにした。
Google Mapの宿泊ガチャで修善寺近くの大仁温泉・大仁ホテルを選んだ。伊東園ホテルの経営で1泊2食付2万円はお手頃だった。昭和42年から7年間長嶋茂雄が自主合宿で愛用したホテルだ。
天気予報では日曜日に関東は大雪の予報は出ていたが、「伊豆だから大したことはないだろう」と高を括っていた。伊豆と聞くと南国のイメージがある。実際、海沿いにはヤシの木が並び、冬でも比較的温暖な地域だ。
日曜日は朝方快晴の中修善寺を散策して、早めに亀石峠を超えて東の海側に向かった。ところが峠の山頂に近づくにつれ様子がおかしくなった。
雪が降り始めたのである。
最初は風情があっていいなと思っていた。
そのうち道路脇に雪が積もり始めた。
さらに進むとホワイトアウトして前が見えなくなった。家内は引き返そうという。もうすぐ山頂であとは宇佐美駅に下るだけ。雪は峠の山だけだろうと思いこんでいた。
私の4WDなら大丈夫だ!車の性能を過信して峠を下り始めると、途中でスタックしている車が何台もみかけた。
家内は一度停めてチェーンをつけようという。
でもトランクにチェーンがないことを私は知っている。
「もう少し行けるところまで行こう。」
その時、目の前にいた車がスタックした。
その車を避けるために私は慌ててブレーキを踏んだ。
しかしそれが間違いの始まり。
車はコントロールを失い、ゆっくりと滑り始めた。
まるでカーリングのストーンのようだった。
十メートルほど先には、スタックした少し古めの白いクラウン。
「止まれ。」
ブレーキを踏み込む。
「止まれー。」
さらに踏み込む。
しかし車は無情にも滑り続ける。
そして最後に、
コツン。
小さな音を立ててクラウンに接触した。
外に出てみると幸いゴムの部分があたり、当てた車に傷はなかった。中から一人で乗っていた70代と思しき男性の運転手が出てきた。自分よりこちらを心配してくれるその方に申し訳なくて、とにかく何度も謝罪した。そんな状況だから、心情的にその場を動くことなどできなかった。また自分もスタックしていると思っているので、JAFを呼んだ。JAFは折り返し電話をくれるという。しかし3時間待ったがJAFからの連絡は来ない。気がつくと周りにはスタックした車が10台以上。中には側溝に落ちている車もある。JAFが特別に私のところへ来てくれるはずがないことに気づくまで時間がかかった。私がぶつけてしまったクラウンのお爺さんは駅まで4kmの道のりを歩くと言って車をおいて去っていった。
「このままでは埒が明かないな。16時か・・・。明日は月曜だし、会社に行かなくっちゃ。」
「危ないからやめて」という妻の静止を振り切り、私は意を決して車のギアを「R」に入れた。2速のマニュアルモード。空転しながらも、あっさりと雪の中から脱出し公道に復帰することができた。
それから難なく亀石峠を下り、宇佐美駅のある国道135号線にたどり着いたら驚いた。そこには車がびっしりと並んでいたのだ。
東京に帰る道は135号線しか無い。高速はすべて封鎖され、山道はチェーン規制。伊豆半島に来ていた車はすべて135号線に並んでいた。
「まぁ、そのうち動くさ」
そう思っていた。
しかし一時間経っても動かない。
二時間経っても動かない。
三時間経っても動かない。
人間というのは不思議なもので、最初は焦るのだが、四時間を超えるとだんだん諦めの境地に入る。
コンビニで買ったおにぎりを大事に食べる。
スマートフォンの充電残量を気にする。
トイレを我慢する。
ラジオから流れる交通情報を聞きながら現実逃避する。
そして周囲の車を見る。
皆、同じ顔をしている。
「これは今日帰れないかもしれない。」
そんな表情である。
結局、その渋滞は夜を越えた。
朝になっても終わらない。
昼になっても終わらない。
最終的に私がハンドルを握っていた時間は二十七時間を超えていた。
人生で最も長いドライブだった。
目的の物件など見るどころではなかった。なんのための前乗りだったのか。
それどころか、「無事に帰れるのだろうか」ということしか考えられなくなっていた。
しかし、この経験は不動産を見る目を少し変えた。
私たちは不動産の価値を語るとき、つい建物や土地そのものに目を向ける。
海が見える。
温泉が出る。
眺望が良い。
広い庭がある。
どれも魅力的だ。
だが、その場所へ安全に行けるだろうか。
何かあったときに帰ってこられるだろうか。
病院まで何分かかるだろうか。
道路は十分に整備されているだろうか。
災害時の代替ルートはあるだろうか。
そうした当たり前のことが、実は不動産の価値を支えている。
空気のように普段は意識されないが、失われた瞬間に初めてその重要性が分かる。
私は仕事柄、多くの土地や建物を見る。
東京の都心部もあれば、地方都市もある。
再開発が進むエリアもあれば、人口減少に直面する地域もある。
しかし最近は、その街の道路や鉄道、病院や商業施設を見る時間が以前より増えた。
建物そのものよりも、その建物を支えるインフラのほうが長く価値を持つことがあるからだ。
不動産は「不動」の資産と書く。
だが、その価値を決めるのは意外にも人や物がどれだけ自由に動けるかということなのかもしれない。
二十七時間の渋滞の中で私が学んだのは、そんな当たり前の事実だった。
不動産の価値とは、建物や土地の価格だけではない。
そこで暮らす人が安心して生活できる環境そのものにある。
そして、その価値はパンフレットや査定書にはなかなか表れない。
だからこそ私たち不動産に携わる者は、目の前の土地だけでなく、その地域全体の未来を見る目を持たなければならないのだと思う。
もちろん大雪は翌日の午後にはほとんど消えていた。
あの時、クラウンのお爺さんのように車を置いて動かないという選択肢もあったのだろう。
不動産も人生も、動くべき時と動かないべき時の見極めが難しい。
私は結局、二十七時間かけて東京へ帰った。
その判断が正しかったのかどうか、今でも分からない。
ただ一つ確かなのは、三十年間守り続けた無遅刻無欠勤の記録だけは、あっけなく雪の中に埋もれてしまったということだ。
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