思うところ23.「いざ、鎌倉」 | 東京駅・茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 思うところ23.「いざ、鎌倉」




    <2018.3.20記>
    私は、不動産会社の心意気として「いざ、鎌倉」という言葉が好きだ。謡曲「鉢の木」は、の中学生時代に教科書(古文)で読んだものと記憶している。創作された話と判っていながらも鎌倉武士の質実剛健なる忠義心を見事に表現しており話の展開に胸を打たれた。顧客に何かあったら、馳せ参じよう。普段は目立たなくても良い。その気持ちを大切にしたい。

    「いざ、鎌倉」の気持ちを大切にしているからこそ、とても心残りの案件がある。小さくとも都心の超一等地に佇むその建物前を通る度に当時を思い出し、ビル名が変わってしまった看板を見て少し切なくなる。

    バブル崩壊後、銀行の「貸し剥がし」が社会問題にまでになった金融危機の頃である。ある日私と同世代と思われる男性から電話連絡が入った。「父が以前世話になった。不動産のことで助けて欲しい。」それは以前取引のあった資産家のご子息だった。

    お父様は病気で亡くなられたという。だが、私の手腕は知らないところで評価されていた。思い起こせば私が売却した父上のアパートは、借地権付建物(共同住宅)で底地権が大蔵省(現財務省)であり、手続きも煩雑であった。満室稼動で賃借人が多いから貸主変更の手続きも手際の良さが求められ、戸建・マンションの単純売却とは仕事量が全く異なる。また、契約する前に譲渡承認の手続き完了を求める関東財務局と譲渡承認を停止条件として契約手続きを優先する当方の主張で火花を散らし、譲渡承認を得た関東財務局その場において国有地(底地)の払い下げも同時処理する前代未聞の契約をやってのけた。顧客の利益を第一に、お上をも恐れず戦うその営業姿勢を父上は好感をもって見ていてくれたのだと思う。

    だが、「いざ、鎌倉」の気持ちで駆け付けた時には、全て銀行に外堀を埋められていた。残念ながら私は弁護士ではない。強いて言えば、もう少し早く相談(召集)して欲しかった。滞納もしていないのに銀行に言われるがまま資産を投げ売りする必要は無かったはずだ。

    因みに、「貸し剥がし」とは、不景気の時に金融機関が自己資本比率を確保(改善)することを優先して、貸付先の経営に大きな問題が無いにも拘らず融資を強引に引き上げることだ。時として資本力の乏しい零細企業においては倒産の引き金にもなる。「銀行は晴れの日には傘を貸すが、雨が降ったら傘を貸さない」とは言い得て妙だ。

    ところで、「鉢の木」の話で私が作者ならば少し手直しをしたい箇所がある。その没落武士が、貧しくとも「その時」の為に馬を手放さなかったことは立派であるが、道中二度も倒れる痩せ馬(車で言うと「整備不良」)であった。到着した時には鎧は千切れ、長刀は錆びていた。そもそも没落した原因が一族の者に所領を乗っ取られたことにあるのはリーダーの統治能力としては問題があると思う。忠義を尽くすならば、いち早く鎌倉に到着することのみが目的ではない。戦力とならなければいけないのだから、主人公は痩せてはいても鍛え上げられた筋肉質であって欲しい。馬は主人が耐え忍んで食を分けたことで適度に肥えていて欲しい。常日頃から武器を磨いていて欲しかった。だから、鎌倉(五代執権北条時頼)から召集された時、痩せ身でも凛々しい主人公を乗せた良馬が疾風のごとく現れて、粗末でも手入れの行き届いた鎧に、名刀ではなくて良いから光り輝く長刀を見せて欲しかった。

    不動産会社も「心意気」のみで早く駆け付けても役には立たない。敵に打ち勝つ前提ならば、刀は錆びていてはいけないのだ。日本人が好む精神論に欧米人合理主義を融合させて考えた方が良い。

    不動産会社にとって、「知識」や「経験」が武器だというならば、やはり常日頃からそれを磨いておかねばなるまい、「その時」の為に。


このコラム欄の筆者

齋藤 裕 (昭和39年9月生まれ 静岡県出身)

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