

<2026.5.1記>
コラム№216(発想の転換)では建替協議のあり方、コラム№217(そもそも論)では構造設計のあり方、そのどちらの制度にも欠陥があると痛烈に批判した。それを「そもそも論」と称するならば本コラムはその続編とも言えよう。他にも問題提起しておきたいことがあるのだ。そもそも区分所有登記を認めてはならなかった分譲マンションが存在する。

<2026.4.13記>
一棟の建物を区分して皆で所有するという新しい概念は1962年(昭和37年)4月に公布された区分所有法を以て誕生したと言っても良いだろう。現在61才の私が生まれる2年も前の事である。日本が高度経済成長期入りすると借家・社宅に甘んじていた庶民の購買力が急速に高まり皆が家を求めるようになった。そうなると住宅の供給不足は誰の目から見ても明らかなものとなり、人々の切実な願望(「夢のマイホーム」実現)に応える為にも必要に迫られた法整備だったと言える。それに住宅産業が活気づくと連鎖して耐久消費財(コラム№194参照)も飛ぶように売れた。要するに格好の景気浮揚策でもあったのである。

<2026.4.1記>
本日(4月1日)を以て殆どの学校が新学期入りをする。また、4月1日を事業年度の始期とする日本企業は実に多い。7月を決算の〆月とする当社は少数派だと思うが、確定申告で多忙な時期を〆月にすれば顧問税理士に余計な負担が掛かってしまうからそうしたまでのことである。当社の事業年度の始期はともかく、入園式・入学式・入社式、どの日取りについても桜の花が美しく舞い散るこの季節こそが晴れの舞台に相応しいと大半の日本人が考えているのではないかと思う。だが、農耕民族であった日本人ならではの規則性かと思いきや、意外にも3月を終期、4月を始期とする慣習は明治時代の国家財政の赤字転落の回避を目的とした苦肉の策がきっかけらしい。

<2025.12.1記>
読者の冷笑が目に浮かぶ。あまりにもベタな展開であるから今回のコラムのタイトルが何になるかは既にお察しのことだと思う。それにもめげずに前回のコラム№207封水(ふうすい)に続く今回のコラムは風水(ふうすい)としたい。

<2025.11.12記>
不動産業で「ふうすい」と言えば大抵の人が思い浮かべる漢字は「風水」であると思う。それは言わずと知れた中国発祥の「気」の調和を重んじる生活の知恵(学問?)みたいなもの。それを不動産購入の決め手にする人は沢山いる。だが、この度取り上げる「ふうすい」は漢字で表すと「封水」の方。どちらかと言えば不動産の管理に携わる人が使う用語だと思う。残念ながら同業者であっても不勉強の人が多いのかこの用語の認知度は低い。

<2025.9.1記>
不動産の誇大広告は宅地建物取引業法第32条により固く禁じられている。その他にも景品表示法に基づく規定もあるし、不動産公正取引協議会に加盟する業界団体所属の宅地建物取引業者ならば、景品表示法の規定に基づいてその団体が自主的に定めたルールに対して公正取引委員会から認定を受けたもの、即ち公正競争規約を遵守しなければならない。よって、売主や仲介人が至高の商品企画であると心から信ずる優良な物件だとしても不動産広告には様々な制限があって「最高」「最高級」「極上」「特級」等、最上級を意味する表現を用いることは許されない。

<2025.7.1記>
コラム№10(常識)でも述べたが我々の常識など実に儚く脆いもの。リノベーション事業に携わっているとそれを痛感させられることが多い。住まい選びに関して言えば、設備・仕様・間取り・色調&デザイン等々、いつの時代にもトレンド(流行)に変化があるのは当たり前のことだと思うが基本的なことは疎か不変と思い込んでいた原理原則の類いまでもが根底から覆ってしまうことには驚かされるばかりである。

<2025.6.14記>
さて、峠の茶屋で市場価格の2倍で売られている飲料を買うことになった時、貴方ならその値付けに対してどう感じるだろうか。観光地価格と割り切る?それとも次回はより多くの重荷を背負うことを決意する?はたまた高値に強い憤りを感じる?質問の意図を気にせずに自問自答してみて欲しい。その本音を聞けば経営者や投資家としての資質が朧気ながら分かる気がする。

<2025.6.2記>
当社が入る岩崎ビル(所在:日本橋茅場町1-11-6)の共用部(通路・共用トイレ)の照明につき、LED照明への交換工事が先々月(4月)をもって無事完了した。当ビルの専有部(貸室部分)は随分前からLED照明に交換済であったが共用部に関しては昔ながらの蛍光灯のままであった為、本体(特に安定器=電流を一定の値に安定させる装置)の劣化が進むにつれて蛍光灯を新品に交換してもすぐには点灯しなかったり、チカチカと点滅し始めたりする不具合も多発しており、そんな薄暗い通路では来訪者に悪い印象を持たれるに違いないと皆が気を揉んでいた。それに当社は当ビルの賃貸管理会社でもあるから他のテナントからの苦情も寄せられる。共用部の蛍光灯からLED照明への交換は当社を含む全テナントが待ち望んでいた改良工事だった。

<2024.5.1記>
平成生まれ以降の若者には信じ難いことかもしれないが昭和40年代までは真夏でも扇風機と団扇で涼むのが当り前の庶民感覚であり、エアコン(Air conditioner)を必需品と考えることは無かったと思う。

<2025.4.15記>
学生時代、専攻していた刑法ゼミで所属する学生が検察側と弁護士側に分かれて「未必の故意」について討論(ディベート)する機会があった。争点は「極寒の深夜に凍死することを予見しておきながら泥酔して眠り込んだ知人を路上に置き去りにした(救護をしなかった)人は殺人罪に問われるか?」だったかと思う。「未必の故意」は立証できれば過失を装う悪人を追い詰めることができる法解釈であることは認めるが、強引な決めつけは予見能力不足の人を冤罪に貶めかねない諸刃の剣とも考えられる。加害者に積極的な殺意が無かったとしても、「救護をしなかったら死ぬ」と予見できたかどうか、何らかの動機があって「死んでも構わない」とまで考えたかどうか、人が人の「未必の故意」を見極めるのはとても難しい。

<2025.2.1記>
私は30年以上前から幾度となく、「(原則として)売れないものなどありません!」と断言してきた。それは傲慢な気持ちから発せられた放言ではなく、売主の不安を払拭する為の巧言でもなかった。相場は需要と供給の一致するところで自ずと形成されるから売主と買主に歩み寄りの気持ちさえあれば売れないものはないとの市場原理を述べていたに過ぎない。