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<2025.5.13記>
「(東京都)中央区で一番速い乗り物は?」と問われたら、「自転車!」と即答して戯れるのが正解だろう。これには銀座・日本橋周辺を主要な営業エリアとする不動産業界人なら腑に落ちるものと思う。他愛も無い「とんち」の類いに過ぎないが、本質はお客様を車でご案内したくとも行く先々で一方通行に阻まれることに対する嘆き節である。

<2025.4.1記>
本日は4月1日でエイプリルフール、直訳すると「四月馬鹿」、日本でも他国同様に「嘘をついても良い日」という仕掛人のセンス次第で騙された方も笑えるユニークな風習として根付いている。だが、ちょっとした悪ふざけがSNSで拡散されてその情報があたかも事実であるかのように一人歩き、時として誰も笑えぬ大事になりかねないご時世である。いっそのこと、「4(ヨ)・1(イ)」の語呂合わせで単に「良い日」、又は少し洒落て「良い旅立ちの日」に改め、入学や入社、新年度入りを祝う記念日とする方が4月1日を何かと節目や起算日とする日本の文化には馴染むのではないだろうか。

<2023.12.1記>
前回のコラム(№159)で語った新築マンション完成在庫一掃作戦の終盤(1990年代半ば、霜月から師走に掛けて)、建前上は売れ残り2現場を完売した「ご褒美」として、そうではない手付かずの(=価格未発表段階の)新築現場を管理職1名、営業職は私と後輩の若手2名だけで任されることになった。

<2023.6.1記>
不動産広告の駅徒歩表示を端(はな)から信じない人が多い。出鱈目な広告を作成する不動産会社も悪いのだが、そのとばっちりを当社が被るのも癪なので「駅徒歩表示」について少し解説をしておきたい。実のところ、そうでなくとも昨年「不動産の表示に関する公正競争規約」が改正されて以来、本コラム欄で取り上げるべきテーマであると思っていた。

<2023.4.1記>
当社の主要営業エリアである東京都中央区においては、目と鼻の先とも言える至近距離の引越しであっても電話番号(NTT固定電話)が変わってしまうことがある。

<2023.3.1記>
当社ホームページ内の「マンションカタログ」なるコンテンツのリニューアルにご注目頂きたい。リニューアルの主たる目的は中央区内でお住まい探しをするお客様に「より分かり易く」情報発信することにより、「どの様な選択肢があるのか」を知って貰う為である。よって、売却物件の有る無しに拘らず入力作業を急ピッチで進めている。残念ながら、今のところの完成度(登録棟数)は30%程度に過ぎないが、あと数ヶ月、少なくとも年内には全物件の入力を終える予定である。その後の新規発売物件は随時加入していくつもりだ。勿論、その他のエリアの物件も特命で売却を任されることが多い為、必要に応じて「中央区外」の充実も図る。

<2022.10.1記>
今回は不動産業に携わる若手営業マン向けの些細なアドバイスで初級編。業界歴30年超、還暦近くの私(58才)ではあるが、ベテラン営業マンにまで説教じみたアドバイスをするつもりなど無い。既に当り前のこととして実践していることだろうし、上から目線の助言など疎ましく思われるに違いないから。

<2021.1.4記>
謹賀新年。さぁ、どんな年になるだろう。昨年は「コロナ禍」に始まり、その終息が見られぬまま、「コロナ禍」に終わる人類にとって歴史的苦難の年だった。今年はきっと良い年になる。祈りも込めてそう信じることにしよう。「明けない夜は無い」のである。

<2020.12.15記>
もう40年以上も前になる遥か昔の微かな記憶である。静岡の片田舎で小学生時代を送る私が、ある日の授業で新米教師が興奮気味に語る余談を(余程詰まらない話だったのだろう)行儀悪く頬杖をついて聞いていた。但し、東京で大学時代を過ごしたというその新米教師の「東京にはな、電気屋さんばかりの街だってあるんだぞ、」という大都会「東京」の自慢話の断片だけが頭の片隅に残った。

<2020.8.3記>
当社の基本方針は、少数精鋭にして総合不動産業(全分野を網羅)を目指すが為に、経済理論で言うところの「選択と集中」の結果、「地域密着(エリア限定)」となる(ならざるを得ない)ことをホームページの本コラム欄で幾度となく述べてきた。
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<2019.1.15記>
いよいよ約3ヶ月の工期を経て当社のリノベーション(中古マンション再生・再販)物件である「三田ハウス(最上階)」が発売される。「三田ハウス」とは、昭和47年に港区三田五丁目において財閥系大手不動産会社の住友不動産が分譲(施工:大林組)した総戸数345戸(1階の店舗11区画を含む)の大規模マンションであり、ヴィンテージマンションの代表格と目される。競合する同業者は多数あったが所有者と「特別な縁」あって当社が仕入れることとなった。

<2018.9.21記>
私には「母」について語れるほどの思い出(記憶)が無い。幼稚園の卒園式では、担任の先生が私をきつく抱きしめて泣いていた。当時は少し自慢に思って「なぜ僕だけ?先生は余程僕のことが好きなんだな。」などと的外れなことを考えていたが、その年の夏、齋藤家を突如襲った悲しみは先生にも痛いほどに伝わっていた。卒園式に母のいない私を哀れみ、行く末を案じて泣いてくれたのだと思う。