思うところ193.「インスペクター」 | 茅場町・八丁堀の賃貸事務所・賃貸オフィスのことならオフィスランディック株式会社

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  • 思うところ193.「インスペクター」




    <2025.4.15記>
    学生時代、専攻していた刑法ゼミで所属する学生が検察側と弁護士側に分かれて「未必の故意」について討論(ディベート)する機会があった。争点は「極寒の深夜に凍死することを予見しておきながら泥酔して眠り込んだ知人を路上に置き去りにした(救護しなかった)人は殺人罪に問われるか?」だったと思う。「未必の故意」は立証できれば過失を装う悪人を追い詰めることができる法解釈であることは認めるが、強引な決めつけは予見能力不足の人を冤罪に貶めかねない諸刃の剣とも考えられる。加害者に積極的な殺意が無かったとしても、「救護をしなかったら死ぬ」と予見できたかどうか、何らかの動機があって「死んでも構わない」とまで考えたかどうか、人が人の「未必の故意」を見極めるのはとても難しい。

    この考え方は不動産取引における売主・貸主・仲介会社の説明責任にも当て嵌まると思う。前回のコラム(№192「四月馬鹿」)では嘘をついてはならないことをコラムの末尾に幾つかの金言を引き合いに出してまで力説してみた。言うまでもなく嘘は作為的な言動であり、明確な積極的説明義務違反である。だが、その人にとって決め手となる重要な事項を説明しないという不作為、即ち消極的説明義務違反も同罪である。「これを説明してしまえば買わないだろうな(借りないだろうな)」と予見しておきながら、「紛争になっても構わないから黙っておこう。(逃げ切れる!)」と考えたかどうか、お客様の判断基準が十人十色であることもあって営業マンの胸の内まで見透かすことは確かに難しい。そうは言っても成績に追われる営業マンが臭いものに蓋をして目先の契約を優先したのが不都合な真実だとしたらその罪は重い。不動産取引はとかく民法で言うところの悪意の有無(知っていたか、知らなかったか)が問われることが多いが、時には一歩踏み込んで刑法で言うところの「未必の故意」を疑う必要があると思う。

    先日、顧客Aさんから「明日契約予定の築古マンションがあるから一緒に見てくれない?」との要請に応えて駆付けた現場でそんなことを思った。Aさんが私にインスペクター(検査官)の役割を求めてきたのはその住戸を一旦は自己居住用としたうえで機を見て賃貸物件とする予定であり、その時には当社に入居者募集・賃貸管理を任せたいとのお気持ちがあったからこその有り難いご用命だった。だから私は二つ返事でお引き受けして現場に急行したのである。Aさんにとって3つ目の不動産購入になるとはいえ、今回はその売主とは初の取引だということもあって自分が見つけた物件に対して第三者に太鼓判を押して貰いたい(背中を押して欲しい)という気持ちがAさんの心の片隅にあったのだと思う。売買予定価格に安値感さえあるその物件は販売資料を見る限りは問題が無かったのだが・・・。

    私が入室後違和感を覚えて指摘したのは次の二点。まず、フルリフォームされた状態で購入した前所有者が約1年間住んでいたはずなのにエアコンを設置した痕跡がどの部屋にも無いことに気づいた。地球温暖化が顕著なこのご時世にエアコン1基も無しで平穏無事に生活できていたものか疑問に思ったわけである。よくよく見ればエアコン用のスリーブが何処にも見当たらない。幸いにも掃出し窓の上部に昔ながらのガラス製・手動スライド式の給気口(昭和40年代築の団地建物でよく見られる自然給気口)があるので引違い窓の片方をFIX(固定)にして見苦しい配管になるのが我慢できるなら設置が全く以て不可能というわけではない。だが、エアコン専用の電源が無い。そのままでは違法配線になってしまう。(まともなエアコン業者には設置工事を拒否される。)しかも専用電源が設置されていないという歴然たる事実はエアコンの重さに耐えうる下地が壁面内に入っていない可能性を示唆していた。つまり、エアコンを「設置しなかった」のではなく、「設置できなかった」と推察したのである。

    もう一点は、一見広く感じる洗面室内の洗濯機置場に不自然にも防水パンが無かったこと。正確に言うと防水パンの有無よりも設置できるスペースそのものが無いことを問題視した。防水パンは設置義務こそ無いが洗濯機を直置きすることは階下への漏水事故の原因となり易い。それは常日頃から細心の注意を払うことで回避できるとしてもAさんの絶対条件である「ドラム式洗濯機を置くこと」が不可能であることは最大のネックになると思われた。私が採寸したところ、設置可能な洗濯機は幅・奥行共に50cm以内のコンパクトタイプに限られることが判明。もし、Aさんが希望する大型ドラム式洗濯機を無理矢理置けば洗面室の入口を半分近く塞いでしまう。また、脱衣スペースが狭小になるうえに洗面室の奥にあるトイレへの通路の幅が30cm未満になる。つまり、洗面室内においては滑稽なまでに横歩きの移動を余儀なくされるわけだ。それに其処には換気扇が設置されていないから熱気・湿気が籠もってしまうことも明らかだった。

    確かに売主(前所有者から転売目的で買い取った宅建業者)は「エアコンは全室に設置可能!」とか、「ドラム式洗濯機も置けますよ。」と嘘をついた訳ではない。だが、売主の販売姿勢には悪意があった(問題になるのを知っていた)というよりも未必の故意、言うなれば「謀略としての黙秘」を感じざるを得なかったのである。私の指摘事項は不動産取引に慣れていない人がたった一度さらりと見学した程度では意外と気付かない盲点である。だからこそ売主はその問題点を自発的にありのまま説明して解決策を提案すべきだった。少なくとも、それらの問題点を加味しているからこその安値(値下げ)であることを正直に話すべきだった。(事前に説明していれば心証は随分違ったと思う。)

    だが、契約を決定的に破談へと導いたのは私の些細な指摘事項よりも隣戸の住民が壁を叩き続ける不気味なだった。Aさんと私が入室して30分程経過した頃からだろうか、隣人が執拗に壁を叩いてくる。まるで「私の隣に住むな!」と警告するかのような威圧感を伴う不快なリズムの打撃音であり、隣人が問題行動を起こす人だと直感的に分かった。それでようやく私の胸中燻っていた謎が解けたのである。なぜ前所有者は取得後たった1年で再販可能な安値(=買取価格)に応諾してまで売却を急いだのか。なぜ売主は(表向きに過ぎなくとも)見栄えのする物件を仕入れておきながら不動産市況の良い今時に値下げする事態に陥ったのか。なぜそうも担当者はAさんと私の退室を急かすのか。

    契約寸前で破談(購入申込撤回)にされた売主はAさんのとなった当社の存在を苦々しく思ったに違いない。辛酸を舐めさせられた担当者は今も私を恨んでいるかもしれない。しかしながら、その翌日ひょっこりとご来店されたAさんの表情は苦渋の決断をしたばかりにも拘らず憑き物が落ちたかのように晴れやかで、昨日のお礼にと差し入れてくれた高級プリンは濃厚かつ滑らかな舌触り、瓶底に隠された仄かな苦みを伴うカラメルが絶妙に大人好みの甘さと絡み合ってとても美味しかった。残念ながらビジネスとしては美味しいところ(利益)は無かったが、浮利を追って顧客の信頼を失うことがあってはならない。此度の出来事を敢えて味覚に喩えるとしたならば、「苦味と酸味を排除することができ、渋味までが抜け落ちて後味がとても良かった。」と妙な愉悦に浸っている。


このコラム欄の筆者

齋藤 裕 (昭和39年9月生まれ 静岡県出身)

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